#秩父の山裾 – 田山花袋 – 2 – 新月(しんつき)の瀬と言われる津久根の梅 - そう言われるために何(ど)うしても本当の月の瀬と比較する気にはなるが、また月の瀬と比べては、その渓といい、その位置といい、またその梅といい、とても比べものにならないほど劣っているが、しかも東京付近の梅渓では、これでも優れた立派なものとしなければならなかった。無論、原村、蒲田、多摩川の吉野、あそこらの梅よりは、遥かに此方がすぐれているには相違いなかった。それにつけても思い出さるるのは、その大和の月の瀬の梅渓であった。 あの名張川ほどの生色を持っていいなくっても好いが、せめてはその越辺(おっぺ)川の谷がもう少し美しい瀬を持ち、もう少し潺湲(せんえん:さらさらと水の流れる様)とした流れを持ち、もう少し多い水量を持っていたならばと私は思った。梅も平地にばかり並べて栽(う)えられていたのでなしに、山の峽(かい)、山の狭間、谷の底なども白くして呉れていたならばと思った。 しかし、この梅渓が新月(しんつき)の瀬と言われる理由は私にもわからないではなかった。寛(実)際、四囲の山巒 - のんびりした、または緩やかに遼繞(りょうにょう)した、頂の斜面に形の好い松などの並んだ、所々に谷が深く入り込んださまは、まことに月の瀬に酷肖(こくしょう:よく似たさま)していた。「感じだけでは、何処か似てる。静かで、鷹揚で、のんびりとしている形は、関東の山とはちょっと思われない」こんなことを私の兄の方の男の子に言って聞かせた。 【来週に続く】 -ヒトコト- 月の瀬とは、奈良県の月ヶ瀬のことである。古くから有名な梅林があり、そこを月ヶ瀬梅林と呼び、現在でも名勝の一つに数えられ、明治31年には花袋も訪れている。 津久根の梅渓とは、今で言うところの越生梅林である。越生梅林は現在の埼玉県越生町にあり、関東でも随一の梅林である。都心からの近さもあり、手軽に楽しむには十分すぎるほどの景観を有していると思う。私も月ヶ瀬を知ってしまったら、物足らなく感じてしまうのだろうか。 花袋の紀行文は辛口だと聞いていたが、読んだ限りでは、飾り気なく、自分の思ったままを書いているように感じる。 花袋ほどの文豪だから、今でいえばテレビに劣らないほどの発信力がありそうだけど、そんな状況で今これを書いたら方々からクレームが飛んできそうで、ちょっと怖い。ここからはそんな面倒臭ささを感じさせない当時の自由さみたいなものが表れているような気がする。 SNSの様な情報の双方向性も考えものかもしれない。 花袋の描写は下げているからこその持ち上げ方に妙味があり、ストレートな文脈から「悪い感じ」がしないのは、さすが、というべきだろうか。 これを読んでいると、花袋が悪いという部分も楽しめるかもしれない。 コメントを残す via YokotaFarm http://ift.tt/22SXv2P