〈コラム〉オリジンに戻ること【5】
小川町ではスダコがおせちに入ってくる。「酢蛸(スダコ)」とは読んで字の如しの食材だが、甘酢で締めたマダコの大足で、鮮やかな食紅で着色されていることが多い。居酒屋に行けばスライスされた酢蛸がメニューに載っているくらいには、小川町の人間は酢蛸が好きらしい。
交通インフラが未発達だった時代、海鮮というのは内陸に住む者にとって遠い存在だった。とはいえ、一度旅に出れば、海沿いでは必ず食べたであろうことは想像し易い。あるいは土産話でその美味を耳にする機会も多かったのではないか。 一度海の妙味を口にした者にとっては、その味が時を重ねる毎に物語となり、そうでない者にとっては、土産話を咀嚼しながら一体如何なる味なのか未知の想像を逞しくしたろうと思う。そうした渇望が、内陸に海産物の生食を引き寄せた。
魚尻線(うおじりせん)というのがある。生魚を腐らせずに内陸に運べる限界線のことをそう呼ぶ。この場合の限界線とは、人力や畜力での話である。例えば江戸時代、甲斐国(山梨県)ではマグロがよく食されていたらしい。駿河湾で水揚げされたクロマグロは、富士山麓を東周りに北上し、本栖湖と精進湖を抜けて甲府盆地に至る道を、一昼夜をかけて運ばれた。
言い換えれば、魚を腐らせず、かつ地理的制約の中で、目一杯足を伸ばせる先が甲府だった、と言うことだ。
山梨県民のマグロと寿司への愛着は、今でも続いている。こうした山に隔たれた地域の海鮮に対する消費欲は、時代を遡るとその理由が見えてくるから面白い。
ちなみに言うと、魚尻線は夏と冬で奥行きが変わってくる。当然ながら生魚が痛み易い夏は短くなり、冬は長くなる。気温が低い季節には、甲府よりさらに北上し、諏訪まで至った。同じ季節には日本海側(富山湾)からのブリが運び込まれ、冬の信州は日本海と太平洋の生魚が邂逅する地帯でもあった。
小川町の酢蛸にも、似たような内陸根性が見え隠れしているように感じなくもない。保存性を良くする上で好まれたのは干しダコではなかった。スダコには生の食感が残っていて、海の幸を味わっている気になれる。酢で締めると色が悪くなってしまうタコを、わざわざ鮮やかな赤に染め上げると言うのも、より生の海産物を楽しむための工夫だったのかもしれない。
甲府盆地で食べられていたマグロも実は、生の食感を損なわない程度に塩や酢、醤油を使って、なるべく日持ちをさせるための工夫は施されていたらしい。当然、奥地に運ぶにあたって増したであろう生臭さや、加えられた塩味によって損なわれてしまう風味を補い、美味しく食べるための調理法もあった。
これらは、正確な意味で言うなら“海鮮”と云うわけではなかった。しかし、生の食感を残すことに最上の価値が置かれ、ギリギリの奥地まで運び込むための工夫の中に、その土地ならではの風土が宿っていたのではないかと思う。
先に、物流の持つエネルギーが、起伏に富んだ日本を文化的平野にしてしまったと云う話をした中で、海鮮を内陸で食すことに疑問を投げかけた。我が家ではたまに、鳥取の魚を漁師から直に取り寄せて次の日に刺身にして食べたりする。大変美味でいつも有り難く頂く。つくづく物流と冷蔵技術の賜物だと思う一方で、しかしそこに「なぜ鳥取の生魚なのか」と云う文化的、地理的理由は見出せないのだ。
文化的平野とは見渡しはよいが、何日も洋上を航海する船員のように、いつまでも変わらない景色に飽きてしまうような、そんな味気なさを感じてしまう。
どんなに高級で美味しい料理を食べても、そこに文化的、地理的裏打ちがなければ庶民の愛するスダコには負けてしまう、とそんな気がするのだ。
〈続〉
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写真: @sushi_bar_maru の野菜寿司
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思ったことを書き並べているということもあって、内容が前後するかもしれませんが、その辺は多めに見てください。
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