在来ささげの発見

在来ささげ

在来種が見つかりました。

横田智治さん、80に近いおじいちゃんが今でも大切に守って来たのは、大角豆(ささげ)、またの名をインゲンです。

智治さんは、私たちがともちゃんと呼ぶ親戚です。

種の来歴をたどると、明治時代にはすでに小川町の青山地区で栽培していたことがわかりました。

「小川町の歴史」によれば、江戸後期、1800年代には「大角木」とか「いんけん」と言う作物の栽培記録があり、これがおそらくインゲンである事と、少なくとも小川町周辺ではよく栽培されていた作物であったことが伺えます。

また、種として市場で取引されていた記録も残されていて、他地域からの種の交流も行われていたようです。
小川町には、昔から作られている大根の中に、「聖護院大根」があります。農家が普段食べる大根は、もっぱらこの大根だったと、大正生まれの方は口を揃えて言いますが、聖護院は皆さんご存知の通り京野菜です。小川町にそうした種が入って来るということからも、種の交流が昔から行われていたことを伺い知ることが出来ます。

以前にも紹介した田端太一さんによれば、大正時代には街内に種屋が存在していたことを覚えていて、このことを考えると、昔から種の取引を専門に扱う生業があったのかもしれません。

江戸に近く、古くから和紙や御用炭の産地として交易が活発だったことも、種の交流を促す要因になったのではないかと思います。

インゲンの話に戻りますが、この種ががいつ頃、どの年代に入って来たのかは不明ですが、きっとこうした種の交流の中で生まれ、種が守られてきたということは間違いありません。

100年スケールの話です。
この小さなタネが大きく見えてきました。

種を通して歴史の深淵を覗き込むと、種にまつわる様々なストーリが押し寄せてきます。

タネは面白い!

参考
小川の歴史 資料編 近世Ⅰ
文化6年4月勝呂村雑穀物覚帳

種守 横田友治

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です