寒波が通り過ぎ、春の陽気に欅の芽が開いて薄ら新緑に染まりつつあります。これでキツイ霜が降りないとふんで、インゲンの種を蒔きました。
写真は埼玉在来「八房(ヤツフサ)インゲン」です。 去年の秋のくね(方言:つるを這わせる支柱やネットの事)をそのまま取って置いて、種を蒔くところだけを丁寧に草刈した後、インゲンの種を二粒蒔きました。
素朴な色で、本当にきれいな色をしているインゲンです。 続きを読む
寒波が通り過ぎ、春の陽気に欅の芽が開いて薄ら新緑に染まりつつあります。これでキツイ霜が降りないとふんで、インゲンの種を蒔きました。
写真は埼玉在来「八房(ヤツフサ)インゲン」です。 去年の秋のくね(方言:つるを這わせる支柱やネットの事)をそのまま取って置いて、種を蒔くところだけを丁寧に草刈した後、インゲンの種を二粒蒔きました。
素朴な色で、本当にきれいな色をしているインゲンです。 続きを読む
今日は里芋を植えました。
去年畑を掘らずに残しておいた里芋を掘り返し、種イモにします。
この里芋はここの在来。何の品種かわかりませんが、昔から受け継がれ、作り続けている在来品種です。 続きを読む
昨日と今日は、地元の農業の歴史と在来種を知るために、地主さんの蔵を調査してきました。
幾つかのそれらしい発見があり、江戸後期の簡単な百姓日誌や、年貢の取立控帳、共有林の取り決めに関する書物、寄り合いでの取り決めに関する書物、そして謎の植物とその種と思われるものも出てきました。 続きを読む
青山在来大豆が紹介されました!
豆についての知識や、調理法、また、国内だけでなく海外の在来の豆が紹介されています。
面白い本なので、是非!
今週の16日は、岩崎信子さんのお宅に、雑穀の種の交換と、アースキッチンを見学してきました。農場からは、去年深谷の農総研で発見した近隣地域の在来雑穀、高篠と都幾川在来のもちキビ、それと東秩父在来の高キビを。
岩崎さんからは、埼玉在来のもちアワと、赤い高キビを交換しました。 続きを読む
天日干した埼玉在来の八房インゲン(と云われている)。横田農場で種採りを続けて6年になります。
埼玉在来だからか、小川町でも作りやすい品種です。
元々は薄いピンク色をした種ですが、若干交雑が進んで薄い紫や茶色のものが出てきました。
インゲンは、遠くから虫が運んできた花粉や、風に乗ってきたわずかな花粉でも受粉して交雑してしまうので、とても種採りに手間のかかる野菜です。 続きを読む
インゲンの在来種を見つけました。
正月の親戚周りで、小川の街中に住む親戚が作っていたものに出会いました。
20〜30年前に譲り受けてから今まで種を採り続けていたのですが、何の品種で、何処から譲り受けて来たのか覚えていないそうです。
種を探して思うのですが、皆さん種の経歴や品種には無頓着で、ただ「良く穫れ、美味しいから作る」というシンプルな考え方をしている方が多いような感じがします。 続きを読む
在来と思われるいんげんの種が見つかりました!
栽培していたのは青山地区に住む横田良一さん82歳。(親族ではない様です。)
横田さんの母が終戦の前の年に何処からか種を貰って来たのが始まりで、受け継いでからも大切に種を取り続けてきたものです。
在来種が見つかりました。
横田智治さん、80に近いおじいちゃんが今でも大切に守って来たのは、大角豆(ささげ)、またの名をインゲンです。
智治さんは、私たちがともちゃんと呼ぶ親戚です。
種の来歴をたどると、明治時代にはすでに小川町の青山地区で栽培していたことがわかりました。
「小川町の歴史」によれば、江戸後期、1800年代には「大角木」とか「いんけん」と言う作物の栽培記録があり、これがおそらくインゲンである事と、少なくとも小川町周辺ではよく栽培されていた作物であったことが伺えます。 続きを読む
探していた落花生が見つかりました。!!
この落花生は隣村の東秩父で作られていたもので、ずいぶん前に農場でも作っていた時期があったものです。
東秩父の知り合いをあたっていたのですが、今日、「見つかった」という連絡をもらい、種を分けていただきに行きました。
この種は、小川町近郊で受け継がれていたもので、今ではほとんど失われてしまったそうです。 続きを読む